今ならまだ行ける

知らない町を歩いてみよう!

「雲洞庵の土踏んだか」

喜平次と与六

十三世 通天存達和尚は10歳の喜平次(後の上杉景勝)と5歳の与六(後の直江兼続)を引き取り雲洞庵で教育しました。 上杉景勝公、直江兼続公は戦国時代の武将として教養高く、四書五経をはじめ中国古典にも造詣が深かったと いわれています。歩くだけで仏の功徳があるといわれる参道の石畳。赤門から本堂へと続く敷石の下には法華経の 一文字一文字が記された小石が埋められているとの言い伝えから「雲洞庵の土踏んだか」という言葉が生まれ、 一度は訪れるべき越後の名刹として広く知られています。

   

「(財)北方文化博物館」 登録有形文化財

100畳敷の大広間

宝暦6年(1756年)江戸中期。天領越後沢海の地に一町二反(約13,000平米)の畑を与えられて、 一人の百姓が分家しました。その百姓は代を重ね、やがて豪商から千町歩(1,000 ha)以上の土地を持つ新潟県下一の 大地主へと歩んでいきます。時は移ってやがて小浜の御用達となり、天保8年(1837年)には名字帯刀を許され、二代目 文吉からは「伊藤文吉」の名を名のるようになり、100坪を超える沢海一の居宅を構えるようになりました。 昭和20年(1945年)8月終戦。その後七代目「伊藤文吉」は伊藤の館を博物館にする決心を固めます。現在、 宝暦(1751~63年)の時代から平成に至る250年余の歴史を持つ伊藤家の遺構に全国から多くの人々が訪れています。

瓢湖

飛来する白鳥

白鳥の種類: コハクチョウ、オオハクチョウ、コブハクチョウ

「白鳥の渡来地」として全国的に有名な瓢湖。故吉川重三郎氏が日本で初めて野生の白鳥の餌付けに成功したことで注目を浴びました。 その後国の天然記念物に指定され、平成20年にはラムサール条約登録湿地となりました。毎年10月中旬に第一陣が訪れ、3月下旬まで滞在します。 11月下旬頃のピーク時には5,000羽を超える白鳥が飛来します。

ニッポニアニッポン

国際保護鳥に指定され、学名「ニッポニアニッポン」でもしられる 新潟県の鳥トキは、昭和56年に野生で生息していた佐渡ですべて捕獲して以降、 現在まで中国の協力を得ながら人口繁殖に取り組んだ結果、100羽を超えるまでに その数が増加し、佐渡トキ保護センターで元気に飼育されています。

更新履歴

新装 2017/01/10
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